管理人がある日突然、乳がん宣告受けました。
でも、笑って治すわよ!!
本日昼12時。
実家の愛猫・モモが静かに息を引き取りました。
ここ何日かは、歩くのもようやく、という感じでしたが、それでも日向でうたたねをしていました。
私は12時半まで仕事でしたので、最期を看取ってやることはできませんでしたが、一番傍にいた母の膝の上で、身体を綺麗にしてもらいながら、そして背中を撫でてもらいながら、息を引き取ったそうです。
引き取る直前、「ふんふん」と鼻を鳴らし母を呼び、宙を前足でもがくように何度かバタバタとさせ、ぐぐぐーっと両前足を伸ばしたあと、まるでスイッチが切れたように、ことり、と息を引き取ったとの事。
既に獣医さんからは余命宣告を受けていたので、驚きというより、「ああ、ついに来たか」と思いました。
よく生きた猫でした。
人間、しかも子供が大好きで、必ずといっていいほど子供のいるところにいました。
子供たちが小さかった頃、散歩に出かけると必ず後をついてくる。来ちゃダメよ、と言っても、ついてきて、土手の下で私たちが帰ってくるのを待っているのです。私たちの足音を聞きつけて、影から「にゃ~」と姿を現すのです。
盆暮れに来るお坊さんのお経を、一緒になって静かに聞いていました。
にぎやかしになるだろうからと、そのままにしていたものの、あまりにその姿がおかしくて、家族もお坊さんも苦笑いしたものです。
寒い日は、決まって膝の上に乗ってきました。教室の片隅に、授業が終わるまで、静かに座っていることもありました。子供たち、いいえ、隣近所では、モモは有名な猫でした。
私たち家族の日常には、必ずといっていいほど、モモがいました。
14年です。我が家に来た時は、既に成猫になっていたので、性格には14年以上です。人間で言うなら、90歳くらいということ。
この猫は、亡父が海外旅行に行く前に、フラフラ~と我が家に入り込んできた迷い猫でした。
猫が何よりも嫌いだった父が、飛行機に乗る前に、動物をぞんざいに扱いたくないと、仏心を出したのが始まりです。
それから、今日の今日まで、ずっとずっと、我が家にはなくてはならない存在だったのです。
今、モモは、青い綺麗な新品のダンボールの中で、花に囲まれて静かに眠っています。
きっと、今頃は、「じいじ」に会えているかもしれません。
「久しぶりだな」
「にゃー」
って、ね。
たくさん、たくさん、たくさん、思い出をありがとう。
いつか、こんな日が来るとはわかっていたけれど、やっぱり悲しいね。
別れというのは、それが人間だろうが、猫だろうが、辛いものなのです。
くりくりっとしたまあるい目は、一生忘れないと思います。
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