管理人がある日突然、乳がん宣告受けました。
でも、笑って治すわよ!!
本日、カテキン市の市政見学ツアーに参加してきました。多分、どこの市町村でもこういう「市政見学」というのはやっていると思います。ようは、参加者を募り、バスを仕立てて、市の施設を何箇所か見学する、というもの。以前から結構興味はあったのですが、一人で行くのも憚られたので、なかなか参加することが出来なかったのです。でも、今回は、私の仲間たちと団体で(完全貸切になってしまいました)参加したため、とても楽しい見学となりました。
カテキン市は日本の大動脈が走っています。ちょうど海に面しているその界隈は、聞いた噂によりますと、一番国内でもテロに狙われやすいんだそうな。高速道路とJRが平行して走っているその辺り、片側が海、片側が山。つまり逃げ道が無いんです。そこをドカンとやられたら、日本の交通網が麻痺してしまうといわれているんです。
話はそれましたが、今日行った場所はその「テロに狙われやすい界隈」にある美術館と、名主の豪邸、そして、明治期に二度首相になった西園寺公望公の別荘「坐漁荘」。無論、これはコピー(笑)でして、本来の建物は明治村に移転しましたが、本物と同じ作りの荘を復元して7年前にオープンしたそうです。
途中、カテキン王国特産の「桜海老料理」でお腹いっぱいになって、そりゃもういい気分でしたね。
西園寺公望公は、もともとがお公家様でした。あまり首相としての才能が無いかに言われていたようですが、実はすごい人だったんですって。時のお歴々の方々が、何人も坐漁荘に相談に来て、それは晩年まで続いたそうです。
戦争に反対したそうですが、時流には勝てず、結局日本は戦争と言う誤った道に行くことになるのですが、その時公望は92歳。既に影響力はなくなっていたそうです。もし、もう少し若ければ、戦争をやめさせたことが出来たかもしれない、と言うお話でした。
また、弱い立場の人たちをよく理解していたとのこと。
東京大学の入学式に文部大臣として挨拶をする予定を、急遽変えて、付近にあった「盲唖院」(盲と、ろうあ者が共に同じ場所で学ぶ学校。昔は盲者とろうあ者は一緒の学校だった)に出かけ、そこで学生たちを励まし、障害に負けるな、私は私の仕事を一生懸命やる!君らも頑張って勉強しなさい!と励ました、というエピソードがあるそうです。
障害関係の仕事をしている私としては、嬉しいですよね。
明治と言うと、すぐに反応しちゃう(笑)しかも明治10年前後はもうそりゃ…ね~?
別荘からは素晴らしい眺めが望めたそうです。
今は目の前はバイパスが通り、海も見えにくいですが、当時は何もなくただ海が眼前に広がっていたそうですよ。かつての首相は、一体海を見ながら、何を思っていたのでしょうね。
あ、ちなみに、別荘には、家族も一切泊まらせなかったんですって。
女中一人と公望公二人だけ。
思わず、その空間に、幕末の人斬りを入れて欲しいと思ってしまいました(笑)
カテキン市は日本の大動脈が走っています。ちょうど海に面しているその界隈は、聞いた噂によりますと、一番国内でもテロに狙われやすいんだそうな。高速道路とJRが平行して走っているその辺り、片側が海、片側が山。つまり逃げ道が無いんです。そこをドカンとやられたら、日本の交通網が麻痺してしまうといわれているんです。
話はそれましたが、今日行った場所はその「テロに狙われやすい界隈」にある美術館と、名主の豪邸、そして、明治期に二度首相になった西園寺公望公の別荘「坐漁荘」。無論、これはコピー(笑)でして、本来の建物は明治村に移転しましたが、本物と同じ作りの荘を復元して7年前にオープンしたそうです。
途中、カテキン王国特産の「桜海老料理」でお腹いっぱいになって、そりゃもういい気分でしたね。
西園寺公望公は、もともとがお公家様でした。あまり首相としての才能が無いかに言われていたようですが、実はすごい人だったんですって。時のお歴々の方々が、何人も坐漁荘に相談に来て、それは晩年まで続いたそうです。
戦争に反対したそうですが、時流には勝てず、結局日本は戦争と言う誤った道に行くことになるのですが、その時公望は92歳。既に影響力はなくなっていたそうです。もし、もう少し若ければ、戦争をやめさせたことが出来たかもしれない、と言うお話でした。
また、弱い立場の人たちをよく理解していたとのこと。
東京大学の入学式に文部大臣として挨拶をする予定を、急遽変えて、付近にあった「盲唖院」(盲と、ろうあ者が共に同じ場所で学ぶ学校。昔は盲者とろうあ者は一緒の学校だった)に出かけ、そこで学生たちを励まし、障害に負けるな、私は私の仕事を一生懸命やる!君らも頑張って勉強しなさい!と励ました、というエピソードがあるそうです。
障害関係の仕事をしている私としては、嬉しいですよね。
明治と言うと、すぐに反応しちゃう(笑)しかも明治10年前後はもうそりゃ…ね~?
別荘からは素晴らしい眺めが望めたそうです。
今は目の前はバイパスが通り、海も見えにくいですが、当時は何もなくただ海が眼前に広がっていたそうですよ。かつての首相は、一体海を見ながら、何を思っていたのでしょうね。
あ、ちなみに、別荘には、家族も一切泊まらせなかったんですって。
女中一人と公望公二人だけ。
思わず、その空間に、幕末の人斬りを入れて欲しいと思ってしまいました(笑)
PR