別にファンだったわけではない。アルバムだって持っていない。歌だって、「負けないで」しか知らない。しかも、うる覚え。けれど、夕方のニュースで彼女の死を知って、何だかすごいショックだった。
多分、同じ時代に生きたからだと思う。勿論平成の時代に入っても、活躍していたのだろうが、彼女は90年代には欠かせないアーティストだった。
私のように、彼女について知らなくとも、歌は知られていた。うる覚えでも、知っていた。それだけ、彼女の歌は、人の心に入り込んでいた。全部の歌詞を知らなくとも、「負けないで」のさびの部分は歌えた。そして、「負けないで」の言葉に、そうなんだよな、負けちゃいけないんだよな、もうちょっと頑張ってみるか、と思った人も多いと思う。
テレビに出たり、CMに出たりすることもないのに、コンサートはいつも満員。すごいグループなんだって、と、昔聞いたことがある。それだけ、強いメッセージを与えることが出来るアーティストだったんだと。その彼女が病魔に侵された。入退院を繰り返し、辛い日々を送る。それがどれだけのものだったか。
40代というのは、社会的には一端の大人で、会社での地位も確立し、家庭もとりあえず形ができていて、いわば人生の中で油が乗ってきた頃。けれど、「厄年」と言う言葉があるように、体調も体の変わり目で、男女共に不調だったり、それが原因でつまづいてしまい、仕事や家庭に影響が出たりすることもある。
せっかく築き上げてきた大切なものが、何かをきっかけに壊れてしまう恐怖。それを一番感じるのもこの頃なんだと、私は自分を振り返ってそう思う。
坂井さんが結婚して家庭を持っていたのかどうかは知らないけれど、彼女にも守りたいものがきっとあったはず。続けたいことがきっとあったはず。それを志半ばにして、絶たれてしまったのだとしたら…守りたい者がある私は、それを考えるとたまらなくやりきれない気持になる。
彼女が遺した「負けないで」と言う言葉。どんな逆境にも、どんな辛いことにも、どんな悲しいことにも、決してひるもことなく、地に足をしっかりつけ、踏ん張って生きていく。もしかしたら、彼女の生き方がそうだったのかもしれない。そして人にも歌を通して、生きる強さを与えてくれた。そうだ、負けちゃいけないんだ、って。頑張ろうって。彼女の遺した言葉の意味は、大きい。
心より、ご冥福をお祈り致します。
「拙者は」
の後に、本当は、剣心は何を言いたかったのだろうか、ということ。
薫の告白に、目を丸くして驚いて、でも、結局は彼女の思いを受け止めたのだけれど、その間に「拙者は」と言う言葉が何故入ったのだろう。
私は薫が大好きだから、余計気になるわけで。
原作はもともと対象が小学生も入っているということもあって、露骨なシーンはない。強いて言うなら、抜刀斎が巴との最後の夜、一つの布団に枕を二つ並べて寝ていた、と、はっきりわかるシーンがある程度。大人なら、あのシーンだけでも十分その夜のことを思い浮かべることは出来るのだろうけれど、お子たちにはさすがにそこまで目はいかない(と思う。マセガキは除いて)。
巴とは、そういう色っぽいシーンがあるにもかかわらず、薫とのシーンではないどころか、例の「拙者は」と、ひっかかるセリフや、まだ巴さん、引きづってんのかァ、って言うシーンが結構目に付いちゃって、やっぱり剣薫ファンとしては、ちと不満。勿論、巴さん嫌いじゃないけれど、それ以上に薫ちゃん大好きなんで。
で、本当のところ、何て言いたかったんだろう。
「拙者は…他に女がいる」…馬鹿者。
「拙者は…男しか愛せない」…成敗してくれるわ。
「拙者は…腹が減った」…貴様に食わせるものは何もない。
なんてこたァ勿論ないわけだが、例えば
「拙者は、まだ巴のことが…」
と言いかけたとしたら、こんなに悲しいことはない。考えすぎならいいんだけどね。連載終了してから大分経つのに、やっぱり答えは出ないんだな。(ひいては、星霜編オープニング「これでようやく…」のシーンに繋がっちゃうのよ、私としては。あれは、悲しかった…薫の存在って、何さ、って思ったから)
原作に二人の「もう、こんちくしょう、二人で勝手にデレデレしてやがれ」って言うシーンがないから、余計二次サイトとしては二人を幸せにしようと、萌えるわけだけれど(笑)それもまた、楽しいんだけれど(笑)
けど、やっぱり、るろうに剣心って奥が深い。読めば読むほど、新たな発見が生まれる。年齢を重ねて読めば、最初に読んだとき沸かなかった感情が沸く。
こんな作品、やっぱり後にも先にも出ないだろう。
ぎょえ~~ッ…何と、たった今、思い出したのだが…
「かおりちゃんねる」って、
剣×薫カップリング中心サイトだったんだ
そうか、そうだったよ。忘れていたよ。あたしゃ、書くことに溺れ、手当たり次第に思いつくまま書いてしまっていました。
どうも最近、剣さん出てこんな~と。
どうも最近、薫ちゃん、おとなしいな~と。
思ってましたのよ、奥さん!(←誰…?)
元はといえば、原作のあの二人のじれったさに、「愛が足りねえ…愛がよぉッッ!!」と、業を煮やした管理人が、「二人の幸せは、おいらにまかせナ」とわけのわからない正義感と使命感を感じてしまったのが、このサイトの始まりでした((笑)嘘です。本当は、某大物有名サイトに惚れ込んじまったから。私も書きたい~って思ったのよ)
で、オープン記念作品「ほおずき」や、初の連載「蒼い月」までは良かったのよ。ノーマルで(笑)。ところが途中から、天邪鬼根性が顔を出し、剣薫CPが脇役になってしまった…うう、でもね、これには深いわけがあるのよ。
つまりだね、あの二人を落ち着いた関係で脇でがっちり固めることで、私の中で、二人の存在価値がどんどん大きくなるのよ。恋愛物?ふふん、この二人はね、もう、そういうものなど、とっくのとんまに超越しちゃったんだよ~ん、とね。
最近じゃ、拍手小話にしか、メインで登場しないもんねぇ。しかも、可哀想な役だし。
で、反省しました、私。ちょっと、剣薫ストーリー、考えます。(いや、考えるだけ。)7月にはありがたくも2周年迎えることだし。来月は、剣薫の誕生月でもあるし。
考えて、一人で萌えて、でれでれします…って、だめぢゃん、それ。書けよ、何か~
書こうと思うと、書けない。変なところで書きたくなる(出社10分前とかさ、トイレ我慢しながらだとか)
ようやく書こうとしたら、眠くなる。
う~ん、これじゃあ、いつまで経っても、作品は出来ないままだな。かおりちゃんねる、存続の危機だわ(笑)
小さなお寺の片隅に、これまた小さなお地蔵さんがある。前に置かれた湯飲み茶碗に、自分の腕よりも長いひしゃくを使って、一生懸命お水を入れていた、これまた小さな坊や。
わけがわからず、もしかして飲んじゃうのかな、って思って、車を止めてみていたら、ちゃーんとお地蔵さんにあげていた。
きっと、いつも、おうちの人(おじいちゃんかな、おばあちゃんかな…)と一緒にやってるんだね。だから、小さくてもちゃんとできた。そう、子供は見てる。ちゃあんと、見てる。大人のやること、いいことも、悪いことも、大人の背中を見て育つ。
実は、最近、やなことばかり目につく。今日の午前中も、あまりに横柄な、市内超有名老舗わさび屋の態度(まだ若いおねえちゃん)にムカッときてましたので、夕方の坊やは心を和ませてくれた。
坊やが淹れてくれたお水、きっとお地蔵様も喜んでくれているに違いない。