管理人がある日突然、乳がん宣告受けました。
でも、笑って治すわよ!!
大先輩に、子供の件で相談をした。あれこれ話をする中で、彼女から出てきたこの言葉。
「取り返せないかもしれないけれど、補うことはできるから。大丈夫」
私は自分の過去の決定に、後悔はしない。あのとき、こうすればよかっただとか、こうしておけば上手くいったのに、なんて思っていたらキリがない。それに、その時その時を、一番ベストだと思いながら決定し行動しているわけで、それを信じて私についてきた子供たちに、今更「私の方法が間違っていました」なんて言ったら、彼らの努力を踏みにじるだけじゃないか、と思う。だから、子供たちの学校選択にしても決して後悔はしていない。
けれど、反省はする。
その中で、私がもう10年以上続けている活動、そしてそれが今の仕事に繋がっているわけだけれど、その活動のせいで随分家を空けることが多かった。それは今も変わらず、むしろ、年々増えている状態だ。
以前子供たちに
「お母さんが夜家をあけると寂しい?」
と聞いたら、
「慣れた。そんなことより、とっとと外で稼いで来てよ」
と、まあ、なんという暴言かと思えるようなことを平気で言ったことがあった。もちろん、本気にはしない。それが子供たちなりの気遣いだということは百も承知だった。承知の上で甘えてしまった。
多分、寂しかったんだろうと思う。
隣の市まで講習に3年通った。しかも平日。夕方仕事を終えて、実家に子供を預け、車で駅へ。帰りはいつも10時を過ぎていた。
迎えに行くと、寝ていることも多々あった。
でも、続けた。ずっと続けて、ほとんど休むことなく、おかげで一発合格が出来た。資格を取った後、今度は会議だ。有資格者はそのコミュニティのリーダーであれ、という言葉どおり、やはり否が応でも行かなければならないときが多かった。
土曜日も。日曜日も。主人より、家を空けることが多かった。
やっぱり、寂しかったんだろうとおもう。聞いて欲しいと思うときもあっただろうし、一緒に寝たいときもあったと思う。
その間に失った子供たちとの時間は、もう取り戻せない。
「でもね、かおりさん。取り返せないけれど、補うことは出来るんだよ」
こんなこと言ってくれる人、初めてだった。思わず、泣いてしまった。
大泣きしてしまった。
救われたような気がした。
正直、今、すごく辛い。自分のやってることが、ただのご機嫌伺いみたいで、「あたし、何やってんだ?」と思う。
子供も私の足許を完全に見ている。
買い与える。
甘やかす。
受容する。
無理しない。
怒らない。
叱らない。
子供にとっては、一時気持ちよくなる。だって、買ってもらえる。勉強しなくていいと言われる。頑張らなくてもいいんだよ、と言われる。
こんなに楽なことはない。もしも、意にそぐわない事を言われたら、落ち込めばいい。震えればいい。泣けばいい。そうすれば親は、再び慌てて、自分にとって都合のいいことしか言わなくなるはずだ。
そんな心の葛藤の中で、主人ともたいして話せず(話すことは話すのだけれど、結局立ち消え、決定には至らない。こんなのいつものこと)自分はどうすればいいのかと思っていたとき、このことばを言ってもらえた。解決の方法ではないけれど、補うことが出来るということは、まだ大丈夫だということ。光はあるのだと思える。
大先輩も辛い思いをしたという。やはり家にいないことが多く、挙句娘は店の商品に手を出してしまったという。
そのときの辛い思いを、話してくださった。
ああ、皆、それぞれ抱えてるんだ。
私、まだ、大丈夫だと、鼻水啜りながらホッとした。
「取り返せないかもしれないけれど、補うことはできるから。大丈夫」
私は自分の過去の決定に、後悔はしない。あのとき、こうすればよかっただとか、こうしておけば上手くいったのに、なんて思っていたらキリがない。それに、その時その時を、一番ベストだと思いながら決定し行動しているわけで、それを信じて私についてきた子供たちに、今更「私の方法が間違っていました」なんて言ったら、彼らの努力を踏みにじるだけじゃないか、と思う。だから、子供たちの学校選択にしても決して後悔はしていない。
けれど、反省はする。
その中で、私がもう10年以上続けている活動、そしてそれが今の仕事に繋がっているわけだけれど、その活動のせいで随分家を空けることが多かった。それは今も変わらず、むしろ、年々増えている状態だ。
以前子供たちに
「お母さんが夜家をあけると寂しい?」
と聞いたら、
「慣れた。そんなことより、とっとと外で稼いで来てよ」
と、まあ、なんという暴言かと思えるようなことを平気で言ったことがあった。もちろん、本気にはしない。それが子供たちなりの気遣いだということは百も承知だった。承知の上で甘えてしまった。
多分、寂しかったんだろうと思う。
隣の市まで講習に3年通った。しかも平日。夕方仕事を終えて、実家に子供を預け、車で駅へ。帰りはいつも10時を過ぎていた。
迎えに行くと、寝ていることも多々あった。
でも、続けた。ずっと続けて、ほとんど休むことなく、おかげで一発合格が出来た。資格を取った後、今度は会議だ。有資格者はそのコミュニティのリーダーであれ、という言葉どおり、やはり否が応でも行かなければならないときが多かった。
土曜日も。日曜日も。主人より、家を空けることが多かった。
やっぱり、寂しかったんだろうとおもう。聞いて欲しいと思うときもあっただろうし、一緒に寝たいときもあったと思う。
その間に失った子供たちとの時間は、もう取り戻せない。
「でもね、かおりさん。取り返せないけれど、補うことは出来るんだよ」
こんなこと言ってくれる人、初めてだった。思わず、泣いてしまった。
大泣きしてしまった。
救われたような気がした。
正直、今、すごく辛い。自分のやってることが、ただのご機嫌伺いみたいで、「あたし、何やってんだ?」と思う。
子供も私の足許を完全に見ている。
買い与える。
甘やかす。
受容する。
無理しない。
怒らない。
叱らない。
子供にとっては、一時気持ちよくなる。だって、買ってもらえる。勉強しなくていいと言われる。頑張らなくてもいいんだよ、と言われる。
こんなに楽なことはない。もしも、意にそぐわない事を言われたら、落ち込めばいい。震えればいい。泣けばいい。そうすれば親は、再び慌てて、自分にとって都合のいいことしか言わなくなるはずだ。
そんな心の葛藤の中で、主人ともたいして話せず(話すことは話すのだけれど、結局立ち消え、決定には至らない。こんなのいつものこと)自分はどうすればいいのかと思っていたとき、このことばを言ってもらえた。解決の方法ではないけれど、補うことが出来るということは、まだ大丈夫だということ。光はあるのだと思える。
大先輩も辛い思いをしたという。やはり家にいないことが多く、挙句娘は店の商品に手を出してしまったという。
そのときの辛い思いを、話してくださった。
ああ、皆、それぞれ抱えてるんだ。
私、まだ、大丈夫だと、鼻水啜りながらホッとした。
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桜谷さま
「月光3」感想ありがとうございました。くすぐったくなるような左之助のセリフ(笑)嬉しかったです。右の拳が泣いちゃいますか!?(笑)す、すまねえ、左之!あたしのことは忘れてくんな~
もう少し、連載続きます。よろしければ、お付き合いの程をよろしくお願いいたします。
なんと衝動買いをしてしまいました。仕事帰り、某デパートに寄ったのですが、エスカレーターを上りきった目の前に、私好みのステキなスカートがあったんですね。「あら、すてき♪」とついつい手を伸ばしてしまったのですが、そのすぐ後ろにハンガーにかかったワンピースが…
「しゅてき…
」
と思った瞬間、財布に相談、「よし、行け!」とお許しが出たので、そのまま買ってしまいました。
久しぶりのワンピ。年甲斐もなく、って感じですが、たまにはいいか…
さて、気になるのは西の方。美星のドクターのお出ましを、今か今かとお待ちしておりますよ。あとで突撃します。
そして美星のおねえさまの桃のはなし。桃大好きな私。私は冷え冷えの桃をまるごとかぶりつき、口元が桃の汁でべとべとになりながら「うんめ~」と言って食べるのが大好きです。
あ、今日、買って来よう。食いて~
「月光3」感想ありがとうございました。くすぐったくなるような左之助のセリフ(笑)嬉しかったです。右の拳が泣いちゃいますか!?(笑)す、すまねえ、左之!あたしのことは忘れてくんな~
もう少し、連載続きます。よろしければ、お付き合いの程をよろしくお願いいたします。
なんと衝動買いをしてしまいました。仕事帰り、某デパートに寄ったのですが、エスカレーターを上りきった目の前に、私好みのステキなスカートがあったんですね。「あら、すてき♪」とついつい手を伸ばしてしまったのですが、そのすぐ後ろにハンガーにかかったワンピースが…
「しゅてき…

と思った瞬間、財布に相談、「よし、行け!」とお許しが出たので、そのまま買ってしまいました。
久しぶりのワンピ。年甲斐もなく、って感じですが、たまにはいいか…
さて、気になるのは西の方。美星のドクターのお出ましを、今か今かとお待ちしておりますよ。あとで突撃します。
そして美星のおねえさまの桃のはなし。桃大好きな私。私は冷え冷えの桃をまるごとかぶりつき、口元が桃の汁でべとべとになりながら「うんめ~」と言って食べるのが大好きです。
あ、今日、買って来よう。食いて~
土曜日、外出先から帰ったのが昼の一時頃。
玄関先で「ただいま~」と言うと、主人がしゃがんでぼーっとしていました。ぼーっとしているのはいつものことなので、特段驚きませんでしたが、次の言葉で、びっくらこいた。
「あのさ、じいじが蜂に刺されて、ドクターヘリで病院に運ばれた」
って、えええええええええ???????
いや、その前に、なんでそんな冷静なんだ?
「は?何、それ?どこで刺されたの?大丈夫なの?行かなくていいの?」
「どこで刺されたか、知らない。意識はあるって。来なくていいって」
て~い!!お前は幼稚園児か!!??
「あのね?いい?ばあばは一人きりになっちゃうんだよ?もし夜中に何かあって、病院に呼ばれるようなことがあったらどうすんの?」
私、これ、経験しているからよくわかるのです。私の父が10年前に亡くなったときがそうでしたから。朝、クモ膜下出血で倒れて病院に運ばれ、亡くなるまでの5日間、何度病院に呼ばれたことか。で、それがいっつも夜、夜中。あれ、やなんだよな~ほんと、ぞっとする。うちの場合は、近くに親戚の叔父たちがいてくれたから、心強かったし、私も主人も従弟たちも車の運転が出来たから、安心したけれど、主人の実家はそうじゃない。老夫婦の二人暮し。しかも田舎。病院は遠い。タクシーも呼べない。
いくらばあばが大丈夫だといっても限度がある。
そんなこともわからんのか?と我が亭主ながら呆れちゃったよ。で、そのことを説明したわけ。すると、「ああ、そうか」と言って、再度携帯に電話。
結局、よくよく話した結果、意識はあるから大丈夫、その代わり、日曜日の朝早く帰る」ということで話がまとまりました。
で、行って来たわけです。実家に行って義母を乗せ、義父の入院する大学病院に。
すると、すでに点滴も取れ、ドクターの許可もあり退院が決定してました。帰りのしたくもさっさと義父がやってしまってあり、私たちはただ迎えに行っただけ。それでも、やっぱりげっそりやつれてました。
義父は蜂に刺されるのは二回目。これ、危ないんですよね。アナフィラキーショックでしたっけ?義父も気をつけていたんですが、やられちゃったんですって。で、まずいと思って、急いで家に帰ったのですが、縁側で倒れたまでは覚えているものの、その後の意識・記憶がぷっつり消えてるんですって。だから、勿論、ヘリに乗ったことさえも覚えてない。
一時は生命に危険があったらしく、かなり危ない状態だったらしいのですが、ヘリの中での対応が素早かったため、一命をとり止めたそうです。
義父曰く、ほとんど記憶がない中、夢の中に子供たちの顔が出てきたそうな。会いたくて会いたくて、最後に一目会うまでは死ねないと強く思ったそうな。その思いが、義父を蘇らせたのかもしれません。
でも、良かった~ほんとに、やつれた義父の姿を見たときは、泣きそうになったよ。そして、それと同時に、離れて暮らす義父母のこと、もう少し真剣に考えなければと思いました。でもなぁ、こればっかりはな…仕事もあるし、子供の問題もあるし…
とにかく、大騒動の週末でした。
ということで、桜谷さま、早速愚息の書についての解説ありがとうございました。なんだか、難しい字がずらりと並んでおりますが、ようは楽しんでかいてくれたらそれで良しということで(笑)
玄関先で「ただいま~」と言うと、主人がしゃがんでぼーっとしていました。ぼーっとしているのはいつものことなので、特段驚きませんでしたが、次の言葉で、びっくらこいた。
「あのさ、じいじが蜂に刺されて、ドクターヘリで病院に運ばれた」
って、えええええええええ???????
いや、その前に、なんでそんな冷静なんだ?
「は?何、それ?どこで刺されたの?大丈夫なの?行かなくていいの?」
「どこで刺されたか、知らない。意識はあるって。来なくていいって」
て~い!!お前は幼稚園児か!!??
「あのね?いい?ばあばは一人きりになっちゃうんだよ?もし夜中に何かあって、病院に呼ばれるようなことがあったらどうすんの?」
私、これ、経験しているからよくわかるのです。私の父が10年前に亡くなったときがそうでしたから。朝、クモ膜下出血で倒れて病院に運ばれ、亡くなるまでの5日間、何度病院に呼ばれたことか。で、それがいっつも夜、夜中。あれ、やなんだよな~ほんと、ぞっとする。うちの場合は、近くに親戚の叔父たちがいてくれたから、心強かったし、私も主人も従弟たちも車の運転が出来たから、安心したけれど、主人の実家はそうじゃない。老夫婦の二人暮し。しかも田舎。病院は遠い。タクシーも呼べない。
いくらばあばが大丈夫だといっても限度がある。
そんなこともわからんのか?と我が亭主ながら呆れちゃったよ。で、そのことを説明したわけ。すると、「ああ、そうか」と言って、再度携帯に電話。
結局、よくよく話した結果、意識はあるから大丈夫、その代わり、日曜日の朝早く帰る」ということで話がまとまりました。
で、行って来たわけです。実家に行って義母を乗せ、義父の入院する大学病院に。
すると、すでに点滴も取れ、ドクターの許可もあり退院が決定してました。帰りのしたくもさっさと義父がやってしまってあり、私たちはただ迎えに行っただけ。それでも、やっぱりげっそりやつれてました。
義父は蜂に刺されるのは二回目。これ、危ないんですよね。アナフィラキーショックでしたっけ?義父も気をつけていたんですが、やられちゃったんですって。で、まずいと思って、急いで家に帰ったのですが、縁側で倒れたまでは覚えているものの、その後の意識・記憶がぷっつり消えてるんですって。だから、勿論、ヘリに乗ったことさえも覚えてない。
一時は生命に危険があったらしく、かなり危ない状態だったらしいのですが、ヘリの中での対応が素早かったため、一命をとり止めたそうです。
義父曰く、ほとんど記憶がない中、夢の中に子供たちの顔が出てきたそうな。会いたくて会いたくて、最後に一目会うまでは死ねないと強く思ったそうな。その思いが、義父を蘇らせたのかもしれません。
でも、良かった~ほんとに、やつれた義父の姿を見たときは、泣きそうになったよ。そして、それと同時に、離れて暮らす義父母のこと、もう少し真剣に考えなければと思いました。でもなぁ、こればっかりはな…仕事もあるし、子供の問題もあるし…
とにかく、大騒動の週末でした。
ということで、桜谷さま、早速愚息の書についての解説ありがとうございました。なんだか、難しい字がずらりと並んでおりますが、ようは楽しんでかいてくれたらそれで良しということで(笑)
まずは、コメントお返しです。
桜谷さま
心強いお言葉、ありがとうございます。まったく、なんでこうなるのか、と首を傾げたくなりますが、この言葉のおかげで「ああ、そうか」と思うことができました。もちろん、まだまだ先は長いのでしょうが、前向きに考えることにします。なんと言っても、私の周りには、こんな話ばかりですので(笑)どっちかといったら「またか~?」ですが…ort
「月光」の感想、楽しみにお待ちしております。
愚息、高3の夏、最後の一枚がこれです。
12年間の書道に、一応のピリオドを打ちました。小さな町の書道教室に通い始めたのが、小学校1年。小さな町の小さな書道教室ですが、市内では別に3ヶ所も教室を持つ、その世界では有名な先生でした。前衛書道ではなく、正統な字体を教えてくれる先生で、正月に行われる書道大会では先生の門下生から何人もの子が受賞しました。愚息も恥ずかしながらその一人でして、そこそこ大きな大会で大賞や準大賞を取らせていただきました。
私は自分が出来ない分、書道が好きでしてねぇ。書道はいいですよ。男女年齢関係なく、誰だって出来る。字がきれいなのは、何事にも変えがたいほど大切なこと。一生の宝を身に付けさせてくれた先生に感謝です。
今日、最後のお稽古だったので、12年間、ご指導してくださった先生にお礼を言ってきました。なんだか、涙が出そうだったよ。
本人も自分に合っていたみたいで、普通は中学入学を機に辞める子が多い中、高3の今まで続けられました。でかい図体に、小1から使っている書道バッグを持って出かける姿が、可笑しかったですよ。
高3の夏、受験勉強一色ですが、本当は続けて欲しかったなぁ。せめて一週間に一時間くらいは、静かに書と向き合って欲しかったです。
でも、まあ、仕方がないか。
将来、機会があれば、是非再開して欲しい。大学入っても書道部に入ればいいのになぁ。(本人はロック関係のサークルに入りたいらしい。ちッ…それじゃあ、父ちゃんと一緒じゃん…)
それにしても、これ、何て書いてあるんだ?と聞いたら、愚息ひとこと、
「知らねぇ」
ま、こんなもんです(笑)