管理人がある日突然、乳がん宣告受けました。
でも、笑って治すわよ!!
四月八日というのは、私にとっても娘にとっても、多分一生忘れられない日だ。勿論入学式だから、というのもあるけれど、もっと別な意味が私と娘にはあるのだ。
6年前のこの日、父が逝った。突然のことだったので、家族はうろたえ、悲しみにくれた。だが、私にはその日、どうしてもやらねばならないことがあった。
娘の小学校の入学式だったからだ。明け方に父を看取り、そのまま一睡もせず入学式に出た。おめでたい日になるはずだった「その日」は、娘にとって悲しい一日になってしまった。今もその時の写真を見るのは辛い。写真に写る娘の顔は、不安な表情だからだ。それは多分、これから始まる新しい生活への不安だけではなく、初めて経験する近しい人の死がそうさせたのだと思う。
あれから6年。
奇しくも、再び四月八日が入学式だ。娘の憧れた学校。その門をくぐる喜び。目に入れても痛くないほど愛した孫を、父は空の上からどんな顔でみていたのだろうか。
そう言えば、あの年も桜が早かった。先を急ぐように咲く桜を、父と重ねた。
トラウマ、というのだろうか。入学式を目前に、私は情けないことに怖くなってしまった。また、誰かが倒れてしまったらどうしよう、と。六年前と同じになってしまったら、どうしようと。「その日」を前に、「その日」が来なければいい、とさえ思う瞬間があった。
ふと、それを知人に話した。すると彼女はこう言った。
「やあね、かおりちゃん。おじさんがそんなこと、するわけないじゃない。可愛い孫が悲しむこと、もうしないよ。ちゃんと守ってくれてるよ」
ああ、そうだ。そうだった。父は誰より、そう娘である私よりも、孫を大切にした。その孫を悲しませることをするわけはないのだ。
大雨洪水警報というとんでもない天気になったのはご愛嬌。確かに寒くて冷たくてしんどかったけれど、笑顔で「その日」を、迎えられたのだから父に感謝せねばなるまい。
かくして昨日、娘は無事に入学式を終え、今日第二日目を楽しく過ごしてきたそうである。
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