管理人がある日突然、乳がん宣告受けました。
でも、笑って治すわよ!!
サザンの「愛しのエリー」が流行っていた頃、駅ビルのレストラン街にお好み焼き屋がオープンした。今から何年前のことだろう。
大阪のお好み焼き専門店の支店ということで、その珍しさから連日の大盛況。休みの日は行列ができるにぎわいだった。
その店長が、当時学生だった私たちの間でちょっとした有名人だった。なぜなら、サザンの桑田圭祐さんにそっくりだったからだ。私たち女子高生はこぞってその店に足を運んだ。お好み焼きが目当て、というより、桑田似の店長が目的だった。
大阪人の独特なノリの良さと、大阪弁のテンポの良さは、地元しかしらない私たちにはある意味カルチャーショックだった。学生の小遣いなんてたかが知れてる。それを使ってでも、その店に行くことが私たちの流行だったのだ。
時は過ぎ、その店の支店がもう一軒市内に出来たのは、今から10年以上前。私が結婚したばかりの時に旦那ちゃんと一緒にその店を訪れたとき、その店長がたくさんの従業員を使って、店を仕切っていた。相変わらずの大阪弁で、客を笑わせていたことを覚えている。
そして、今日、本当に10年ぶり(いや、もしかしたらもう少し時間は経っているかもしれない)に、その店を訪れた。多分、もう、あの店長はいないだろうなぁ、と思いながら店に入った。
従業員は女性一人と厨房に一人。昔に比べれば随分静かな店内だ。
そして、あの店長はというと…
…いた。
店長はずいぶんとメタボになったお腹と、黒髪に白が混じった姿で
「いらっしゃいませ」
と迎えてくれた。
随分、姿かたちが変わってしまった(などといったら、失礼だろうか…(笑))。最初は本当にその店長かわからなかった。けれど、しばらくしてその笑顔や話し方で、彼だとわかった。
今日は娘の合格祝いを兼ねて食事に来た。私より背が高くなった息子と、まもなく私を越えるだろう娘に、私は当時のことを語って聞かせた。
話していて、懐かしさが蘇る。
友達の顔と、制服の紺リボンが、思い出された。
店長は大阪弁ではなかった。時折イントネーションが大阪人になるけれど、会話そのものはこの土地の言葉だった。でも、顔は、よく見れば(笑)桑田だった。
あの頃、たくさん食べるのが当たり前だった私は、今はすぐにお腹がいっぱいになり、更には耳鳴りや頭痛に悩まされ、更年期街道をまっしぐらに驀進中だ。
それでも、お好み焼きを食べているときだけは、あの頃に戻ったようで、嬉しくて懐かしくて、私はチラチラとことあるごとに店長の顔を盗み見していた。
帰り際、レジのお姉さんに聞いてみた。
「店長は、もうここのお店は長いんでしょう?」
「ええ、もう、長いですよ」
「昔、駅ビルにいた頃、よく通わせて頂きました」
「ああ、そうですか!もう、あの姿、ビフォアフターになっちゃって、すみませんねぇ~」
そりゃ、お互い様だよ、おねえさん。私も肌がたるみましたよ。
店内は今流行りの歌が流れていたけれど、私の頭の中は、あの頃の歌がずっと流れていた。
笑ってもっとベイビー…
名曲とあの店の味は、いつまでも変わらない。
大阪のお好み焼き専門店の支店ということで、その珍しさから連日の大盛況。休みの日は行列ができるにぎわいだった。
その店長が、当時学生だった私たちの間でちょっとした有名人だった。なぜなら、サザンの桑田圭祐さんにそっくりだったからだ。私たち女子高生はこぞってその店に足を運んだ。お好み焼きが目当て、というより、桑田似の店長が目的だった。
大阪人の独特なノリの良さと、大阪弁のテンポの良さは、地元しかしらない私たちにはある意味カルチャーショックだった。学生の小遣いなんてたかが知れてる。それを使ってでも、その店に行くことが私たちの流行だったのだ。
時は過ぎ、その店の支店がもう一軒市内に出来たのは、今から10年以上前。私が結婚したばかりの時に旦那ちゃんと一緒にその店を訪れたとき、その店長がたくさんの従業員を使って、店を仕切っていた。相変わらずの大阪弁で、客を笑わせていたことを覚えている。
そして、今日、本当に10年ぶり(いや、もしかしたらもう少し時間は経っているかもしれない)に、その店を訪れた。多分、もう、あの店長はいないだろうなぁ、と思いながら店に入った。
従業員は女性一人と厨房に一人。昔に比べれば随分静かな店内だ。
そして、あの店長はというと…
…いた。
店長はずいぶんとメタボになったお腹と、黒髪に白が混じった姿で
「いらっしゃいませ」
と迎えてくれた。
随分、姿かたちが変わってしまった(などといったら、失礼だろうか…(笑))。最初は本当にその店長かわからなかった。けれど、しばらくしてその笑顔や話し方で、彼だとわかった。
今日は娘の合格祝いを兼ねて食事に来た。私より背が高くなった息子と、まもなく私を越えるだろう娘に、私は当時のことを語って聞かせた。
話していて、懐かしさが蘇る。
友達の顔と、制服の紺リボンが、思い出された。
店長は大阪弁ではなかった。時折イントネーションが大阪人になるけれど、会話そのものはこの土地の言葉だった。でも、顔は、よく見れば(笑)桑田だった。
あの頃、たくさん食べるのが当たり前だった私は、今はすぐにお腹がいっぱいになり、更には耳鳴りや頭痛に悩まされ、更年期街道をまっしぐらに驀進中だ。
それでも、お好み焼きを食べているときだけは、あの頃に戻ったようで、嬉しくて懐かしくて、私はチラチラとことあるごとに店長の顔を盗み見していた。
帰り際、レジのお姉さんに聞いてみた。
「店長は、もうここのお店は長いんでしょう?」
「ええ、もう、長いですよ」
「昔、駅ビルにいた頃、よく通わせて頂きました」
「ああ、そうですか!もう、あの姿、ビフォアフターになっちゃって、すみませんねぇ~」
そりゃ、お互い様だよ、おねえさん。私も肌がたるみましたよ。
店内は今流行りの歌が流れていたけれど、私の頭の中は、あの頃の歌がずっと流れていた。
笑ってもっとベイビー…
名曲とあの店の味は、いつまでも変わらない。
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