遅ればせながら、愚息にトイレ掃除を命じた。
罰でもなんでもない。家事の一つとして、学校でのトイレではなく、我が家のいつも使っているトイレの掃除をしろ、と。
当然、愚息は
「何で俺が?」
という表情をあからさまに出す。
「なんで妹には言わないで、俺ばっかり?」
と言う思いが、顔全体に広がる。
本当はもっと早くさせておきたかった。いや、させるべきだったのだ。だが、そこは私の勝手で、忙しいを理由にさせなかった。なぜなら、いちいち教えるより、自分でやってしまった方が簡単だからだ。これじゃあいけないな、と思いながらも、ついついここまで来てしまったのは、私の責任。
たかがトイレの広さである。何十畳もあるわけじゃなし、掃除といっても知れている。簡単に手順を説明をした後、ひとつ付け加えた。
「素手でやんなさいよ」
学校の掃除でも多分素手でやってるのだろうけれど、私も素手で掃除をしている。わざわざゴム手袋なんぞしていたら、衛生面では確かにいいかもしれないが、思うように指が動かないときもあるし、以前はつけていた私もいつのまにか外してしまっていた。素手で掃除をすることが当たり前になったとき、ある本を読んだ。トイレ掃除にまつわる話だ。
有名な大病院の経営が思わしくない。院長はその世界でも高名な医師。さてどうしたものかと思い悩み、ある人に相談した。
「院長。明日から人より早く出勤してください。そして、素手でトイレ掃除をやってください」
院長は耳を疑った。なぜ、院長である私がそんなことをやらねばならぬのだ。しかも、素手で?
怒りさえ感じたが、仕方がない。とりあえず言うなりに実行した。
最初は嫌で嫌で仕方が無かった。だが、ある日、院長は気がついた。自分が来ていない時間帯に、どれだけの人が病院で一生懸命働いているかを。それからというもの、今まで気がつかないでいたことが、次々と目に付くようになった。
そして、トイレを美しくすることに一生懸命になった。
何ヶ月か後、気がつけば、外来患者は増え、病院経営は再び順調に動き出した。
素手だから、とか、トイレ掃除をしたから、ではない。
要は、人の嫌がる仕事を率先して行うことで、今まで見えないことに気がついた。そして、周りもその姿に共感した。互いを思いやる心を、トイレ掃除を通して思い出すことが出来たのだ。
愚息は今天下は俺のためにある的発想の元に動いている。反抗期もあるだろうし、一つ一つの受け答えを軽く考えている。怒られ方も身についてきたようで、受け流し方も上手くなってきている。
だが。
そんな愚息にひと言。
「お前、何様?一人で生きてるんじゃないんだ、いい加減にしろ」
そういう叱り文句が、最近増えてきた。
家のトイレ掃除をしたからといって、すぐに何か変化があるとも思えないが、5分でもいいからトイレの空間で一人掃除をするのも、何かプラスになるだろう、と願っているのだけれど…
ちなみに。
昔は
「トイレの神様は綺麗好きなのに手足が不自由で掃除ができない。だから神様の変わりに掃除をしてあげると、神様は喜んで綺麗な子供を授けてくださるんだよ」
と親に言われたものだ。
母は、
「ほうら、だからこんなに綺麗な子が生まれたでしょう?」
と…言ったかどうかは覚えてないが(笑)
拍手コメント:
蒼様…お、落ち着いて~~(笑)しょしょしょ初夜なんですがね。書くとき、「どうだったかいな?」と忘れちゃって…遠い記憶を呼び戻すのに、随分時間がかかりましたわ(笑)これから暫く続きます。よろしくです。
しーな様…ああ、寸止め…ちょっと待った~そこでやめるか~?来週に続く~的な場面が今後続くと思われ。(笑)熱帯夜の日本列島が、更に熱くなるよう頑張って書きます。
紅雀様…例の場所、見つかりましたか?ささ、早くおいでなされませ~大好物が待ってます(笑)
大人なかただけに、熱いプレゼント。うへへへへ。