管理人がある日突然、乳がん宣告受けました。
でも、笑って治すわよ!!
62年前の今日。やっと、戦いが終わった。
私の母は、その時、五年生だった。
玉音放送を聞きながら周りを見れば、大人たちが泣いている。
陛下のお言葉は難しかったけれど、戦争が終わったことだけはわかったそうだ。
カテキン市内のある建物で、広島長崎の原爆展が開かれていると新聞で読み、今日8月15日、子供たちを連れて見に行った。前夜、子供に聞いた。
「明日は何の日か知ってる?」
娘は「?」の顔をしていたが、愚息は中学生だけあってそこらへんは心得ていたようだ。
「せめて一年に一度位さ、戦争について考えようよ。お母さんも勉強したいからさ。だから一緒に行かない?」
断れば怒られると判断したか(笑)、二人の子供たちは意外にも素直に「いいよ」と言った。
展望ロビーに飾られた絵画、写真の数々。書籍。新聞。そして、某大物女優が語り部として出演している、被爆体験のビデオ。実は、私はこういう展示会は初めてではないが、中には見たことの無い絵も多く含まれている。
焼けただれ、真っ黒になった骸。
河原に積み重なる性別不明の遺体の山。
死んだ子供をおぶいながら、呆然とする母。
背を真っ赤に腫らし、瀕死の重傷を負いながらも一命を取り留めた、当時16歳の少年。
飾られた絵画は、原爆の悲惨さを見るものに訴え、戦争の無意味さを叫ぶ。
決して、二度と繰り返してはいけない。
けれど、世界のいたるところで、また愚かな戦いを繰り返している。
人間とは、どこまで愚かなのだろう。
戦争を始めるのも人間。
終わらせるのも、人間。
子供たちは、今日の展示会を見て、何かを思ってくれただろうか。何かを感じてくれただろうか。飽食の時代に生きている、そして私自身戦争を知らない世代の親が、上手く子供たちに伝えられるかどうかはわからない。けれど、私は親として、これからも子供に伝えて行きたい。意味ある戦争などないのだと。価値ある戦争などないのだと。
母が言う。
「雪を見るとね、これが全部お砂糖だったらいいのに、って子供の頃何度思ったかしら」
今日も暑かった。62年前も、きっとこんな暑さだったに違いない。
私の母は、その時、五年生だった。
玉音放送を聞きながら周りを見れば、大人たちが泣いている。
陛下のお言葉は難しかったけれど、戦争が終わったことだけはわかったそうだ。
カテキン市内のある建物で、広島長崎の原爆展が開かれていると新聞で読み、今日8月15日、子供たちを連れて見に行った。前夜、子供に聞いた。
「明日は何の日か知ってる?」
娘は「?」の顔をしていたが、愚息は中学生だけあってそこらへんは心得ていたようだ。
「せめて一年に一度位さ、戦争について考えようよ。お母さんも勉強したいからさ。だから一緒に行かない?」
断れば怒られると判断したか(笑)、二人の子供たちは意外にも素直に「いいよ」と言った。
展望ロビーに飾られた絵画、写真の数々。書籍。新聞。そして、某大物女優が語り部として出演している、被爆体験のビデオ。実は、私はこういう展示会は初めてではないが、中には見たことの無い絵も多く含まれている。
焼けただれ、真っ黒になった骸。
河原に積み重なる性別不明の遺体の山。
死んだ子供をおぶいながら、呆然とする母。
背を真っ赤に腫らし、瀕死の重傷を負いながらも一命を取り留めた、当時16歳の少年。
飾られた絵画は、原爆の悲惨さを見るものに訴え、戦争の無意味さを叫ぶ。
決して、二度と繰り返してはいけない。
けれど、世界のいたるところで、また愚かな戦いを繰り返している。
人間とは、どこまで愚かなのだろう。
戦争を始めるのも人間。
終わらせるのも、人間。
子供たちは、今日の展示会を見て、何かを思ってくれただろうか。何かを感じてくれただろうか。飽食の時代に生きている、そして私自身戦争を知らない世代の親が、上手く子供たちに伝えられるかどうかはわからない。けれど、私は親として、これからも子供に伝えて行きたい。意味ある戦争などないのだと。価値ある戦争などないのだと。
母が言う。
「雪を見るとね、これが全部お砂糖だったらいいのに、って子供の頃何度思ったかしら」
今日も暑かった。62年前も、きっとこんな暑さだったに違いない。
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