管理人がある日突然、乳がん宣告受けました。
でも、笑って治すわよ!!
昨日、大雨の中、ザギンでシースーどころか、フレンチっぽい豪華なお食事を頂きながら、一才年下の従妹の結婚お祝いパーティーに参加してまいりました。
午前中は、愚息と大学までのアクセス確認、なんてったって、田舎者ですので乗り換えに慣れていないわけで、地図を片手に地下に潜ったり、キョロキョロしたり、とほーんとお上りさん(笑)30年前に4年だけ東京に住んだだけなので、今の東京の交通事情など全くわからん。なにやらいっぱい地下鉄があるのねぇ…私がいたころは、「大江戸線」なんかなかったわよ、と電車の表示を見ながらひとりごちてました(笑)で、案の定、市ヶ谷から四谷に向かうとき、間違えて反対方向に乗ってしまいました…
R大学は綺麗な校舎。2年前に姪がそのキャンパスを見て「行きたい~ここ通いたい~」と憧れたのもわかる気がします。(愚息はあまり興味ないみたい)
J大学は、どっかのオフィスビルみたい。でも、正門前まで行って、大雨によりあえなく断念。なーんとなく外観だけ見て、そのままザギンに向かいました(「ザギン」って響き、好きなのよ~)
並木通りに沿ったお洒落なビルの5階。集まったのは、親戚のみ。約20人ほど。初めて会う旦那様のジョンは、優しそうな、そして少しふくよかな「おじさま」。従妹より10以上年が離れているのですが、若々しかったですよ。
片言の英語は挨拶程度だったのでなんとか通じましたが、後はぜんぜんわからん。時々わかるときもあったのですが、ぜーんぶ従妹に通訳してもらいました。ちなみに、私の姉は、通訳なしで話します。羨ましいわ。
親戚というのも、新婦の両親で、私の叔父叔母のそれぞれの兄弟や従兄妹たち。私は叔母側の親戚になるのですが、私を含めて(姉以外)全く英語はチンプンカンプン。もう一人の叔父など、むりやり日本語で通そうとするし、通じないとなると、スマイルシェイクハンド!お、おじちゃん、さすが、ゴリ押しの強さでは誰にも引けはとらないわ!
それにひきかえ、向こう側(新婦の父親側)は、ほとんど喋れる!!しかも、年配の、白髪のおじいちゃまなど、ペラペ~ラ!!おおおおお、なんと格好いい!
聞けば現役時代は商社に勤めていたようで、その息子さんも頻繁に諸外国に行くそうで、とうぜん苦もなく話している。
お~まいが~~!!
が、がんばるのよ!わたしたち~~!!もう一人の従姉と、「ちょ、ちょっとこっち側、恥ずかしくない?向こうの方がインテリだよ?」とこそこそ話し合っておりました。
さて、主役の二人。実は、従妹もその旦那様ジョンも、芸術家です。
カテゴリーを言ってしまうとわかってしまうので、あえて書きませんが、若い世代には結構人気な分野だと思います。各地のカルチャークラブにも必ずクラスが設けてあるほど、ポピュラーになっています。
従妹がその世界に入った頃には、まさかこの人と結婚することになるとは思えないほど、彼は「雲の上の存在」、つまりその世界では知らない人はいない、大家(たいか)だったそうです。もちろん、アメリカでもいろいろな依頼はあるわけで、世界的に大ヒットしたシリーズの映画でも、セットにその作品を提供したり、テレビ局の依頼があったりと、話を聞けば聞くほど、「へ~~~」と驚くばかり。縁って、どこでどう繋がっているかわかりませんね。
でも、従妹は向こうで日本人はいないそうで、よくそんな中で暮らしているよな~と…そこで聞いてみたんですね。すると彼女曰く
「傍に日本人がいると、どうしてもコミュニティが出来てしまって、ほんの些細なことも愚痴としてでてきてしまう。例えば、「アメリカの換気扇、使いづらいよね~」がどんどん膨らんで、ひいてはアメリカの悪口にまで至ってしまう。それならば、全く一人の方がやりやすいのよ」と。
昔から彼女はパワフルでしたが、その強さは今も健在でした。
でも、本当はきっと寂しいと思いますよ。自分で選んだ道とは言え、年老いた両親を日本に残していくのですから。
多分、死に目に会えない覚悟はしているんだと思う。だって、ノースキャロライナの自宅から川崎の自宅まで、ドアTOドアで24時間かかると言っていましたから。(飛行機の事情があまり良くないらしい)
そんな強い覚悟を持って嫁に行ったのだから、どうか幸せになって欲しい、と心から思いました。
彼らは今月いっぱいまで日本に滞在するそうで、その間も川崎の実家には帰らずホテルに泊まっているって。その理由が、
「靴を脱ぐという習慣に慣れないから」
う~ん、アメリカさんらしいねぇ(笑)
今度はいつ会えるやら。
とにもかくにも、ザギンでフレンチは、終始楽しく和やかに過ごすことが出来たのでした。
午前中は、愚息と大学までのアクセス確認、なんてったって、田舎者ですので乗り換えに慣れていないわけで、地図を片手に地下に潜ったり、キョロキョロしたり、とほーんとお上りさん(笑)30年前に4年だけ東京に住んだだけなので、今の東京の交通事情など全くわからん。なにやらいっぱい地下鉄があるのねぇ…私がいたころは、「大江戸線」なんかなかったわよ、と電車の表示を見ながらひとりごちてました(笑)で、案の定、市ヶ谷から四谷に向かうとき、間違えて反対方向に乗ってしまいました…
R大学は綺麗な校舎。2年前に姪がそのキャンパスを見て「行きたい~ここ通いたい~」と憧れたのもわかる気がします。(愚息はあまり興味ないみたい)
J大学は、どっかのオフィスビルみたい。でも、正門前まで行って、大雨によりあえなく断念。なーんとなく外観だけ見て、そのままザギンに向かいました(「ザギン」って響き、好きなのよ~)
並木通りに沿ったお洒落なビルの5階。集まったのは、親戚のみ。約20人ほど。初めて会う旦那様のジョンは、優しそうな、そして少しふくよかな「おじさま」。従妹より10以上年が離れているのですが、若々しかったですよ。
片言の英語は挨拶程度だったのでなんとか通じましたが、後はぜんぜんわからん。時々わかるときもあったのですが、ぜーんぶ従妹に通訳してもらいました。ちなみに、私の姉は、通訳なしで話します。羨ましいわ。
親戚というのも、新婦の両親で、私の叔父叔母のそれぞれの兄弟や従兄妹たち。私は叔母側の親戚になるのですが、私を含めて(姉以外)全く英語はチンプンカンプン。もう一人の叔父など、むりやり日本語で通そうとするし、通じないとなると、スマイルシェイクハンド!お、おじちゃん、さすが、ゴリ押しの強さでは誰にも引けはとらないわ!
それにひきかえ、向こう側(新婦の父親側)は、ほとんど喋れる!!しかも、年配の、白髪のおじいちゃまなど、ペラペ~ラ!!おおおおお、なんと格好いい!
聞けば現役時代は商社に勤めていたようで、その息子さんも頻繁に諸外国に行くそうで、とうぜん苦もなく話している。
お~まいが~~!!
が、がんばるのよ!わたしたち~~!!もう一人の従姉と、「ちょ、ちょっとこっち側、恥ずかしくない?向こうの方がインテリだよ?」とこそこそ話し合っておりました。
さて、主役の二人。実は、従妹もその旦那様ジョンも、芸術家です。
カテゴリーを言ってしまうとわかってしまうので、あえて書きませんが、若い世代には結構人気な分野だと思います。各地のカルチャークラブにも必ずクラスが設けてあるほど、ポピュラーになっています。
従妹がその世界に入った頃には、まさかこの人と結婚することになるとは思えないほど、彼は「雲の上の存在」、つまりその世界では知らない人はいない、大家(たいか)だったそうです。もちろん、アメリカでもいろいろな依頼はあるわけで、世界的に大ヒットしたシリーズの映画でも、セットにその作品を提供したり、テレビ局の依頼があったりと、話を聞けば聞くほど、「へ~~~」と驚くばかり。縁って、どこでどう繋がっているかわかりませんね。
でも、従妹は向こうで日本人はいないそうで、よくそんな中で暮らしているよな~と…そこで聞いてみたんですね。すると彼女曰く
「傍に日本人がいると、どうしてもコミュニティが出来てしまって、ほんの些細なことも愚痴としてでてきてしまう。例えば、「アメリカの換気扇、使いづらいよね~」がどんどん膨らんで、ひいてはアメリカの悪口にまで至ってしまう。それならば、全く一人の方がやりやすいのよ」と。
昔から彼女はパワフルでしたが、その強さは今も健在でした。
でも、本当はきっと寂しいと思いますよ。自分で選んだ道とは言え、年老いた両親を日本に残していくのですから。
多分、死に目に会えない覚悟はしているんだと思う。だって、ノースキャロライナの自宅から川崎の自宅まで、ドアTOドアで24時間かかると言っていましたから。(飛行機の事情があまり良くないらしい)
そんな強い覚悟を持って嫁に行ったのだから、どうか幸せになって欲しい、と心から思いました。
彼らは今月いっぱいまで日本に滞在するそうで、その間も川崎の実家には帰らずホテルに泊まっているって。その理由が、
「靴を脱ぐという習慣に慣れないから」
う~ん、アメリカさんらしいねぇ(笑)
今度はいつ会えるやら。
とにもかくにも、ザギンでフレンチは、終始楽しく和やかに過ごすことが出来たのでした。
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