あまやどり
ストーリーを考えるとき、ふとした瞬間に「これだ!」と思えるものが浮かぶときがあります。
また、反対に、モチーフを決めておいて、そこに肉付けするときもあります。
「あまやどり」は、その後者の方です。
若いときから、歌手のさだまさしさんの歌が大好きで、昔はよく聞いていました。その中に、「療養所(サナトリウム)」「空蝉」という歌があります、ええ、どちらも、暗い(笑)それでも、FANにとってはまさに「マサシングワールド」でして、恋愛云々ではなく人生とは何か、絆とは何か、を語った歌です。
「あまやどり」はまさに、この二つをモチーフにして、作り上げました。
登場する老夫婦は、「療養所」に出てくる老婆の、弱々しくも限りなく優しいキャラをイメージしました。そして、息子の一件は「空蝉」に出てくる取り残された老夫婦がモデル。「都会に行った息子が迎えに来るはずだから」とホームで待ち続けるも、結局は迎えに来なかった。駅員は「もう、汽車は来ません。とりあえず今日は来ません、今日の予定は終わりました」と済まなそうに告げる。
旅先で出会った老夫婦の、これから始まるであろう悲しい事実の中に、絆の強さを剣心と薫に気付いて欲しかったのです。
知らなかったほうが幸せなのか。
知ったほうが幸せなのか。
それは人それぞれ。
それよりも、かばい、労わり、気遣う二人の絆の深さは、この時の剣心夫婦にはまだまだ足りないのかもしれません。
その後、老婆は奇跡的に回復、なんてサプライズはありません。
彼女はきっと、息子を思いながら、夫に見守られ、与えられた命をまっとうしたことでしょう。
真の幸せとは何か、答えはなかなか出てきません。
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CCOと由実姐さん
実写版のキャストが次々と発表されますね。
観柳を持ってきましたか。本編じゃ、カスみたいな(失礼)ポジションだったのに。
でも、香川照之さんが演じるなら、その存在も随分大きくなるんでしょうね。実写版自体の賛否は別として、大物俳優を贅沢に使っているので、それはそれで楽しみだったりする…
で、師匠は誰だ?でもって、CCOは?やっぱ、包帯巻くの?
美星のおねえさまが書いてらっしゃったが、私もぜひぜひお願い…
闘う際、
「飛天御剣流~!!」
などと技の名前を叫ぶのだけは止めて欲しい。あれは、恥ずかしいよ。見てるほうが赤面する。
さて、振り返ろう。
志々雄と由実の作品は2作あります。
ひとつは、由実の花魁時代。志々雄と出会った頃をオリキャラ交えて書きました。
もう一つは、上海編。吉原を出た由実が、志々雄に連れて行かれてからのお話です。
花魁編は、花魁の廓ことばに苦労しました。ネットで検索して、花魁言葉の自動変換機がありましてね、それを使っていました。
正しいかどうか、ちょっと疑問なんですが(笑)
苦界に生きた由実は、いつでも孤独だったんだと思います。志々雄に心をひかれながらも、なかなか素直になれなかったのは、人を簡単に信じることが出来ないような生い立ちもあったんだろうと思います。それだけ、貧しい暮らしをしていただろうし、売られた場所でもやっぱり辛い思いをしたんだと思います。(主はなかなかいいヤツでしたが)
だからこそ、ライバルの「花房」(オリキャラ)の恋も心の中では羨ましかったんだろうと。相手がどんな身分でもいい。心から自分をさらけ出せるような相手がいるって、女にとっては幸せなことだから。
上海編は、租界の雰囲気がなかなかつかめず(さすがにウィキだけではイメージが湧きませんね)それを文章にするのに苦労しました。だから20年以上前に行った自分の経験を思い出して、「ああ、上海ってこんな感じだったな」と言った具合で書きました。
上海では素直になるどころか、かえって関係悪くなってる…
志々雄は自分の死期を知っていたんだと思います。だから、上海で出来るだけ早く力を得たかった。富も得たかった。
それは自分のためだけではなく、志々雄が本気で愛した由実のためであったかもしれません。
志々雄さん、遊び人かと思いきや、一途なのかも知れない(笑)
この時点では、まだ由実も修羅になりきれていないけれど、志々雄という男の深みに、どんどんはまっていく由実の姿は、一見の価値ありかも。
誰か、私の代わりに書いてください(笑)
ということで、本日は、これにて終わりでありんす。
実写版のキャストが次々と発表されますね。
観柳を持ってきましたか。本編じゃ、カスみたいな(失礼)ポジションだったのに。
でも、香川照之さんが演じるなら、その存在も随分大きくなるんでしょうね。実写版自体の賛否は別として、大物俳優を贅沢に使っているので、それはそれで楽しみだったりする…
で、師匠は誰だ?でもって、CCOは?やっぱ、包帯巻くの?
美星のおねえさまが書いてらっしゃったが、私もぜひぜひお願い…
闘う際、
「飛天御剣流~!!」
などと技の名前を叫ぶのだけは止めて欲しい。あれは、恥ずかしいよ。見てるほうが赤面する。
さて、振り返ろう。
志々雄と由実の作品は2作あります。
ひとつは、由実の花魁時代。志々雄と出会った頃をオリキャラ交えて書きました。
もう一つは、上海編。吉原を出た由実が、志々雄に連れて行かれてからのお話です。
花魁編は、花魁の廓ことばに苦労しました。ネットで検索して、花魁言葉の自動変換機がありましてね、それを使っていました。
正しいかどうか、ちょっと疑問なんですが(笑)
苦界に生きた由実は、いつでも孤独だったんだと思います。志々雄に心をひかれながらも、なかなか素直になれなかったのは、人を簡単に信じることが出来ないような生い立ちもあったんだろうと思います。それだけ、貧しい暮らしをしていただろうし、売られた場所でもやっぱり辛い思いをしたんだと思います。(主はなかなかいいヤツでしたが)
だからこそ、ライバルの「花房」(オリキャラ)の恋も心の中では羨ましかったんだろうと。相手がどんな身分でもいい。心から自分をさらけ出せるような相手がいるって、女にとっては幸せなことだから。
上海編は、租界の雰囲気がなかなかつかめず(さすがにウィキだけではイメージが湧きませんね)それを文章にするのに苦労しました。だから20年以上前に行った自分の経験を思い出して、「ああ、上海ってこんな感じだったな」と言った具合で書きました。
上海では素直になるどころか、かえって関係悪くなってる…
志々雄は自分の死期を知っていたんだと思います。だから、上海で出来るだけ早く力を得たかった。富も得たかった。
それは自分のためだけではなく、志々雄が本気で愛した由実のためであったかもしれません。
志々雄さん、遊び人かと思いきや、一途なのかも知れない(笑)
この時点では、まだ由実も修羅になりきれていないけれど、志々雄という男の深みに、どんどんはまっていく由実の姿は、一見の価値ありかも。
誰か、私の代わりに書いてください(笑)
ということで、本日は、これにて終わりでありんす。
「寒椿」
拙作の中でも非常に地味な作品の一つですが、案外気に入ってるんです。
桂さんは、幾松を大事にしたんですってね。「明治の女傑」にも入っていると言うのは事実で、身分は低かったけれど桂を献身的に支えた賢い女性だったようです。
その幾松と剣心が剣心の人斬り時代に出会っていないはずはない。
ああ、もし二人が出会っていたら…
しかも、ほのかに憧れちゃっていたらどうなんだろう、という妄想から始まったこの作品。年上の女性ってのがいいですねぇ(笑)
幕末なんて殺し合いの時代です。200年続いた江戸時代が、土台ごとひっくり返される。天誅の名の下に、殺し合いも許される狂気の時代です。とかく幕末モノは登場人物も美しく、美談で話は進みますが、本当はそんなもの、無いに等しい。地獄絵のような凄惨な殺し合いに、わずか14歳の子供を人斬りとして使う長州の行く先を、賢い幾松なら案じただろう、と自分勝手に想像しました。(いや、本当は全く逆で、すごく過激だったりして(笑))
「あなたは幸せにならなくてはいけません」
「幾松殿、それはあなたも…」
の件は、好きなセリフです。互いの苦労を知っているからこそ、思いやれるんだとおもいます。
最後に薫と剣路を出したのは、剣心に「現在」を見つめて欲しかったから。「現在(いま)を生きる」ことが、彼にとっては大切だったからです。「現在」を生きることは、過去を忘れることじゃない。過去の罪と向き合い、その上で、前を向き生きることが、剣心に与えられた使命なんだと思います。そんなワケで、最後の薫と剣路は思い切り能天気(笑)
拙作の中でも非常に地味な作品の一つですが、案外気に入ってるんです。
桂さんは、幾松を大事にしたんですってね。「明治の女傑」にも入っていると言うのは事実で、身分は低かったけれど桂を献身的に支えた賢い女性だったようです。
その幾松と剣心が剣心の人斬り時代に出会っていないはずはない。
ああ、もし二人が出会っていたら…
しかも、ほのかに憧れちゃっていたらどうなんだろう、という妄想から始まったこの作品。年上の女性ってのがいいですねぇ(笑)
幕末なんて殺し合いの時代です。200年続いた江戸時代が、土台ごとひっくり返される。天誅の名の下に、殺し合いも許される狂気の時代です。とかく幕末モノは登場人物も美しく、美談で話は進みますが、本当はそんなもの、無いに等しい。地獄絵のような凄惨な殺し合いに、わずか14歳の子供を人斬りとして使う長州の行く先を、賢い幾松なら案じただろう、と自分勝手に想像しました。(いや、本当は全く逆で、すごく過激だったりして(笑))
「あなたは幸せにならなくてはいけません」
「幾松殿、それはあなたも…」
の件は、好きなセリフです。互いの苦労を知っているからこそ、思いやれるんだとおもいます。
最後に薫と剣路を出したのは、剣心に「現在」を見つめて欲しかったから。「現在(いま)を生きる」ことが、彼にとっては大切だったからです。「現在」を生きることは、過去を忘れることじゃない。過去の罪と向き合い、その上で、前を向き生きることが、剣心に与えられた使命なんだと思います。そんなワケで、最後の薫と剣路は思い切り能天気(笑)
「おんなともだち」
拙作の中から好きなものをあげなさい、と言われても困っちゃいますが、「おんなともだち」
は、結構好きですね。
恵にとって薫は目の上のたんこぶ。女として一番認めたくない存在。
本編ではそこまで描かれていませんでしたが、同じ女の目線から見ればなるべくしてなった関係です。
本編は、あくまでも薫がヒロインなので、薫寄りの描かれていますが、時に天然過ぎる薫の言動は、聡明でプライドの高い恵の神経を思い切り逆撫でしたに違いありません。それが剣心を巡ることならば、尚更です。
文中に書いた京都での薫の言葉。
あれは作者が男性だからこそ自然に出た、多分疑問に思わなかったセリフなんだろうと思います。
「ごめんなさい」
と詫びる薫のなんと無神経なこと。何にごめんなさい、なんだろう、と本編読んだときに私は思いました。同情のごめんなさいなんて、恵ほどプライドの高い女性には不要な言葉。
いっそ堂々としてくれていたなら良かったのに。そのぐらいの覚悟、出来ている。
ただ、憎みきれなかったのは、恵も人の痛みを知っているから。そして、剣心の愛したひとを受け入れることも、愛の形だと思ったのかもしれません。もちろん、薫の天然さに腹をたてながらも、結局取り込まれてしまったという面もありますが。
へべれけに酔っ払った女ふたりを介抱するのは大変だったでしょうね。左之助なんて、変態扱いですから(笑)
剣心だって、ちゃんと恵の気持ちに気付いていた。ただ、どうしようもなかった。恵の気質を知っていたからこそ、「もっと幸せにならなければな」と自分自身に言い聞かせたんだと思います。
女同士の友情は、微妙ですね。関わる人の状態で、いくらでも形を変えます。
断ち切ってしまったと思っていた友情が、時の流れと共に戻ることもある。
私事ですが、今日、10年ぶりに、「あの頃」に戻ることが出来ます。
あることをきっかけに断ち切れてしまったと思っていた友情が、実は切れていなかったとわかりました。10年の間、互いに思い続けていた。私も、彼女も、傷ついて、求めていた。私の「おんなともだち」を、たっぷり楽しんで来ます。
拙作の中から好きなものをあげなさい、と言われても困っちゃいますが、「おんなともだち」
は、結構好きですね。
恵にとって薫は目の上のたんこぶ。女として一番認めたくない存在。
本編ではそこまで描かれていませんでしたが、同じ女の目線から見ればなるべくしてなった関係です。
本編は、あくまでも薫がヒロインなので、薫寄りの描かれていますが、時に天然過ぎる薫の言動は、聡明でプライドの高い恵の神経を思い切り逆撫でしたに違いありません。それが剣心を巡ることならば、尚更です。
文中に書いた京都での薫の言葉。
あれは作者が男性だからこそ自然に出た、多分疑問に思わなかったセリフなんだろうと思います。
「ごめんなさい」
と詫びる薫のなんと無神経なこと。何にごめんなさい、なんだろう、と本編読んだときに私は思いました。同情のごめんなさいなんて、恵ほどプライドの高い女性には不要な言葉。
いっそ堂々としてくれていたなら良かったのに。そのぐらいの覚悟、出来ている。
ただ、憎みきれなかったのは、恵も人の痛みを知っているから。そして、剣心の愛したひとを受け入れることも、愛の形だと思ったのかもしれません。もちろん、薫の天然さに腹をたてながらも、結局取り込まれてしまったという面もありますが。
へべれけに酔っ払った女ふたりを介抱するのは大変だったでしょうね。左之助なんて、変態扱いですから(笑)
剣心だって、ちゃんと恵の気持ちに気付いていた。ただ、どうしようもなかった。恵の気質を知っていたからこそ、「もっと幸せにならなければな」と自分自身に言い聞かせたんだと思います。
女同士の友情は、微妙ですね。関わる人の状態で、いくらでも形を変えます。
断ち切ってしまったと思っていた友情が、時の流れと共に戻ることもある。
私事ですが、今日、10年ぶりに、「あの頃」に戻ることが出来ます。
あることをきっかけに断ち切れてしまったと思っていた友情が、実は切れていなかったとわかりました。10年の間、互いに思い続けていた。私も、彼女も、傷ついて、求めていた。私の「おんなともだち」を、たっぷり楽しんで来ます。
幻の(?)左之助悲恋ストーリー(笑)
アニメについては、賛否両論ですが、結構人気もあったんですよね?
私は大嫌いではなかったですが、すげ~~~好きってわけでもなかったです。面白い回もあったし、「げッ…」と幻滅する回もありました。
そのアニメでは、いくつかの章に分かれていたのですが、中でも「島原編」は左之助の悲恋もあり、見ごたえはまあまああったと思います。
左之助の相手「マグダリア小夜」は、結局最後は銃撃に遭って亡くなるのですが、お互い喧嘩をしながらも惹かれあい、最後は左之助の胸に抱かれて息を引き取る、感動の場面でしたね。
そんな左之助を大陸に渡らせた後、小夜の眠る長崎の地に帰ってくる左之助のストーリーを書き始めましたが、途中で挫折(笑)
というのも、やはりアニメからの二次は完全「るろ剣」を離れてしまっているので、「やっぱりやめた」と言う感じです。
前回お話したように、左之助は恋愛というよりは己の野望に突き進む男であって欲しい。
なんでもかんでもCPにしてしまうと、出来すぎになってしまう。
それじゃあつまらないですよね。
男左之助、好いた、惚れたの話をするよりは、マッチョな人生を歩んで欲しいと思います。とは言え、星霜編での「トラの肝」(だっけ?)のシーンは、笑ってしまいましたが…
アニメが出てきたところで、ついでと言ってはなんですが…
薫ちゃんの扱いがあまりにひどかったり、着物一つとっても丁寧さがなかったりと、散々な内容だったと思いますが、それでも好きな回はあるんですよ。
京都編での「斉藤VS剣心in神谷道場」は、何度も見ましたね。あれは良かった。
軒下で雨宿りしているときに、剣心が薫の手に触れるシーンがあったんですが、ほんの何秒かのシーンが心に残ってます。
勝海舟編も良かったな。地味な作品でしたが、剣心の人斬り時代と現在がよく描かれていたと思います。決して派手ではないけれどね。
BGMも良かったですよね。
アニメは隅々まで忠実に、綺麗に描かないと、ファンから総攻撃を食らいます(笑)
来年の実写映画、どうなることやらですね~(笑)
アニメについては、賛否両論ですが、結構人気もあったんですよね?
私は大嫌いではなかったですが、すげ~~~好きってわけでもなかったです。面白い回もあったし、「げッ…」と幻滅する回もありました。
そのアニメでは、いくつかの章に分かれていたのですが、中でも「島原編」は左之助の悲恋もあり、見ごたえはまあまああったと思います。
左之助の相手「マグダリア小夜」は、結局最後は銃撃に遭って亡くなるのですが、お互い喧嘩をしながらも惹かれあい、最後は左之助の胸に抱かれて息を引き取る、感動の場面でしたね。
そんな左之助を大陸に渡らせた後、小夜の眠る長崎の地に帰ってくる左之助のストーリーを書き始めましたが、途中で挫折(笑)
というのも、やはりアニメからの二次は完全「るろ剣」を離れてしまっているので、「やっぱりやめた」と言う感じです。
前回お話したように、左之助は恋愛というよりは己の野望に突き進む男であって欲しい。
なんでもかんでもCPにしてしまうと、出来すぎになってしまう。
それじゃあつまらないですよね。
男左之助、好いた、惚れたの話をするよりは、マッチョな人生を歩んで欲しいと思います。とは言え、星霜編での「トラの肝」(だっけ?)のシーンは、笑ってしまいましたが…
アニメが出てきたところで、ついでと言ってはなんですが…
薫ちゃんの扱いがあまりにひどかったり、着物一つとっても丁寧さがなかったりと、散々な内容だったと思いますが、それでも好きな回はあるんですよ。
京都編での「斉藤VS剣心in神谷道場」は、何度も見ましたね。あれは良かった。
軒下で雨宿りしているときに、剣心が薫の手に触れるシーンがあったんですが、ほんの何秒かのシーンが心に残ってます。
勝海舟編も良かったな。地味な作品でしたが、剣心の人斬り時代と現在がよく描かれていたと思います。決して派手ではないけれどね。
BGMも良かったですよね。
アニメは隅々まで忠実に、綺麗に描かないと、ファンから総攻撃を食らいます(笑)
来年の実写映画、どうなることやらですね~(笑)